レコード大賞昭和歌謡曲ベストヒット大全集
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昭和歌謡曲ベストヒット大全集

昭和の歌謡曲、フォークソング、ニューミージック、演歌、J-POPまで青春を過ごした名曲、ヒット曲、懐メロ。 昭和の良き時代を中心に90年代J-POPまで無料でPV動画やMP3が視聴できる『昭和歌謡曲ベストヒット大全集』で青春時代を想い出してみませんか?
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橋幸夫--『霧氷』 

橋幸夫--『霧氷』
「霧氷」(むひょう)は、1966年10月5日に日本ビクター(現:JVCケンウッド)の音楽レコード事業部のビクターレコード(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)より発売された橋幸夫の84枚目シングル。
作詞:宮川哲夫、作曲:利根一郎、編曲:一ノ瀬義孝
本楽曲で橋幸夫は第8回日本レコード大賞を受賞。橋は1962年にも「いつでも夢を」で第4回日本レコード大賞を受賞しているため、同賞を2度受賞をした初の歌手となった。また、同年の第17回NHK紅白歌合戦でも本楽曲が歌唱された。

本楽曲は、橋の師匠であり、かつ楽曲のメインライターでもあった吉田正により1964年頃から橋に提供されていた『恋をするなら』や『チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-』などといったリズム歌謡路線と一線を画す形で、宮川哲夫と利根一郎のコンビにより、一転して切ない男女の別れを歌い上げるムード歌謡的曲調で制作された曲である。
1968年時点での累計売上は105万枚。

「霧氷」歌詞
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菅原洋一--『今日でお別れ』 

菅原洋一--『今日でお別れ
今日でお別れ(きょうでおわかれ)は、菅原洋一が1967年に発売したシングル盤レコードである。
作詞:なかにし礼 作曲:宇井あきら 編曲:早川博二
同曲は、菅原洋一のシングル盤レコードとして1967年に発売されたものであるが、その当時は1965年に発売していた『知りたくないの』のロングヒットに埋もれる形になってしまい、日の目を見なかった。

その後、1969年に森岡賢一郎のアレンジによるニューバージョンをレコーディングし、同年12月25日に再発売した。年明けの1970年に30万枚のヒット曲となる。

菅原洋一は同曲で1970年度第12回日本レコード大賞を受賞。また同年の第21回NHK紅白歌合戦でも歌唱している。

カバーとしては、美空ひばり島倉千代子藤圭子舟木一夫ちあきなおみ石原裕次郎来生たかお水原弘八代亜紀フランク永井など多くの歌手に歌われている。

「今日でお別れ」歌詞

梓みちよ--『こんにちは赤ちゃん』 

梓みちよ--『こんにちは赤ちゃん』
こんにちは赤ちゃん(こんにちはあかちゃん)は、1963年(昭和38年)にリリースされた歌謡曲。
歌唱:梓みちよ、作詞:永六輔、作曲:中村八大

作曲者・中村の第一子生誕をヒントに永が作詞した作品である。本来はそのエピソードから永がパパの心情を歌詞にして、中村にプレゼントした曲であった。永は自身のコンサートや、後年テレビ朝日の『題名のない音楽会』に出演した際などに、「パパの心情版」のこの曲を歌っている。歌詞は、セシル・ソヴァージュの詩『こんにちは赤ちゃん』を換骨奪胎して作られたもの。

1963年7月6日、NHKテレビの人気番組『夢であいましょう』の今月の歌コーナーにて紹介された。原曲は上記のとおりパパの心情の歌詞であるが、歌手が女性であることなどから、ママの心情に置き換えた。

譜面の視聴者プレゼントへ週に1万通を超える応募が殺到するなどの以後の大反響から同年11月1日、キングレコードよりシングルレコードが発売されると、100万枚を超える(120万枚とも)空前の大ヒットとなり、梓みちよは本曲で同年の第5回日本レコード大賞を受賞し、第14回NHK紅白歌合戦にも本曲で初出場を果たす。

翌1964年には、5月に東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前でこの歌を披露した。明治時代以降において日本芸能界初の天覧歌謡曲となる。また、第36回選抜高校野球大会の開会式入場行進曲に使用された。坂本九の「スキヤキ」の世界的ヒットの直後ということもあり、同じ作詞・作曲者であるこの曲も、同年英国デッカ・レコードを通じ梓みちよのバージョンが日本語のまま世界に向けて発売された。

1992年6月10日、作曲した中村が61歳で死去。同年の第43回NHK紅白歌合戦で、梓みちよは16年ぶり11回目の出演を果たし、中村を偲んで本曲を披露した。

こんにちは赤ちゃん:歌詞
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B.B.クイーンズ--『おどるポンポコリン』 

B.B.クイーンズ--『おどるポンポコリン
「おどるポンポコリン」は、B.B.クィーンズの1枚目のシングル。1990年4月4日にBMGビクター(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)から発売された。
作詞:さくらももこ、作曲:織田哲郎、編曲:織田哲郎
フジテレビ系テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』第1期作の初代エンディングテーマ曲(1990年1月7日 - 1991年3月31日)であり、劇場版及び2000年11月8日 - 2009年12月27日、2011年1月9日 - 2014年4月27日、2022年1月30日はオープニングテーマ曲として使用された。

オープニングテーマ起用時のエンディング映像では、B.B.クィーンズ自体が活動を停止したことや発売権の移行など諸々の理由で「主題歌」のクレジットでレーベル名が表記されていない。なお、オリジナル版のオープニング使用期間は10年以上に及ぶが、エンディング使用期間は比較的短い。

1990年の第72回全国高等学校野球選手権大会では参加した49校中38校が応援歌として使用し、後に1991年の第63回選抜高等学校野球大会入場行進曲に選ばれるなど、高校野球の応援歌の定番のひとつとなる。

2011年5月1日に、期間限定で再結成したB.B.クィーンズの第一弾シングルとして、新録音された「おどるポンポコリン〜ちびまる子ちゃん 誕生 25th Version〜』が発売。2019年にももいろクローバーZによるカバー版が発売された際には、楽曲の振り付け映像がYouTubeで公開された。

当初、宣伝費をかけていなかったこともあり長戸大幸はこの曲の売れ行きを「良くて5万枚か10万枚くらい」と考えていた。
オリコンシングルチャートでは、1990年6月18日付にてベスト10圏内に初登場、以降週間1位を7度獲得し、同年9月24日付にて100万枚を突破した。1990年のオリコン年間シングルチャートでは1位を記録。「全国歌謡ベストテン」では1990年8月4日から13週連続1位を記録した(ただし年間チャートではこの年の7月までの集計であった関係か、13位に終わった)。累計売上は164.4万枚(オリコン調べ)または190万枚(公称)。
1990年の第21回日本歌謡大賞放送音楽特別賞、第32回日本レコード大賞ポップス・ロック部門を受賞。1990年度のオリコン主催「日本レコードセールス大賞」のシングル部門大賞はB.B.クィーンズ、作詞賞はさくらももこ、作曲賞・編曲賞は織田哲郎と『おどるポンポコリン』がらみが独占した。

「おどるポンポコリン」歌詞
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ジャッキー吉川とブルー・コメッツ--『ブルー・シャトウ』 

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ--『ブルー・シャトウ』
「ブルー・シャトウ」(Blue Chateau) は、ジャッキー吉川とブルー・コメッツが1967年にヒットさせた楽曲である。
1967年3月15日に発売され、レコード売上150万枚(1968年時点)の同グループ最大のヒット曲となり、第9回日本レコード大賞を受賞した。またこの曲は『第18回NHK紅白歌合戦』(1967年)の際の出場曲で、同時にグループとして2回目の出場曲でもある。

橋本淳作詞、井上忠夫(当時。後に井上大輔)作曲、森岡賢一郎編曲。

『ブルー・シャトウ』歌詞


森進一--『襟裳岬』 

森進一--『襟裳岬
襟裳岬は、1974年1月15日に発売された森進一の29枚目のシングル。
作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎/編曲:馬飼野俊一
「おふくろさん」、「冬のリヴィエラ」などと並び森進一を代表する人気曲の一つである。
第16回日本レコード大賞と第5回日本歌謡大賞の大賞を受賞した。
作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎というフォーク全盛期を代表する黄金コンビによる作品である。
ヒットした当時、襟裳岬のあるえりも町の人々はサビに登場する「襟裳の春は何もない春です」というフレーズに反感を持つ人も少なくなく、渡辺プロや作詞者の岡本宅への抗議の電話もあったが、やがて襟裳の知名度アップに貢献してそういった感情もなくなり、森進一はえりも町から感謝状を贈られた。
1997年にはえりも町にこの歌の歌碑が建設され、その記念に同年の紅白でも歌唱された。
フォーク界との融合による本作の成功は、以後の歌謡曲界に大きな影響を及ぼした。
本作以降、フォーク系シンガー・ソングライターが歌謡曲・ポップス系や演歌歌手に曲を提供するケースが目立って増えるようになった。
吉田拓郎も1974年のアルバム『今はまだ人生を語らず』でセルフカバーしている。
こちらは森進一のようなこぶしやしつこさはなく吉田拓郎の代表曲『旅の宿』のようなテイストのフォーク調の歌い方になっている。

「襟裳岬」歌詞
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水原弘--『黒い花びら』 

水原弘--『黒い花びら
『黒い花びら』 1959年7月にリリース 作詞:永六輔/作曲・編曲:中村八大
『黒い花びら』で水原弘は1959年から始まった第1回日本レコード大賞を受賞した。
また、それまで洋楽を手がけてきた東芝レコード(現在はEMIミュージック・ジャパン)が手がけた邦楽レコードの第一号でもあった。
曲が大ヒットした事もあって、この曲をモチーフに映画化もされ、東宝から1960年に公開されました。
主演は水原弘です。
独特の甘い”低音”で一世を風靡し、第10回NHK紅白歌合戦に初出場。

黒い花びら:歌詞
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黛ジュン--『天使の誘惑』 

黛ジュン--『天使の誘惑
「天使の誘惑」1968年5月1日発売 黛ジュンの4枚目のシングル
作詞:なかにし礼/作曲:鈴木邦彦/編曲:鈴木邦彦
黛ジュンは本楽曲で1968年の「第10回日本レコード大賞」を受賞した。
黛ジュンのレコード大賞受賞が発表された「第10回日本レコード大賞」の発表音楽会はモノクロ映像で現存している(同回はモノクロ放送だった最後の回であり、TBSに現存するレコード大賞の映像は同回のものが最古である)。また、本楽曲がレコード大賞を受賞した1週間後にはレコード大賞開始10周年を記念し、それまでのレコード大賞各賞受賞者たちが勢揃いした特別番組「10周年記念音楽会」が放映され、そちらは本楽曲の映像も含めて、鮮明なカラーのビデオ映像の完全版VTRが現存している。

同年の「第19回NHK紅白歌合戦」では本楽曲が歌唱された。同紅白では、当初和服姿で『夕月』を歌唱することになっていたが、本楽曲が12月21日に行われたレコード大賞を受賞したため(レコード大賞が大晦日の開催になるのは翌年から)、歌唱曲が変更され、黛ジュンの代名詞ともいえるミニスカートで出場した。

B面「ブラック・ルーム」の編曲を手掛けた渡辺たかしは、後の三木たかしで、黛ジュンの実兄である。

同年7月20日には本楽曲をもとに黛ジュン主演による同名映画『天使の誘惑』が松竹で公開された。

1968年11月時点での売上は公称100万枚。

1995年には、『恋のハレルヤ』とともに、『天使の誘惑'95』としてアレンジされたバージョンが発売された(カップリングも『土曜の夜何かが起きる』のアレンジバージョン)。

天使の誘惑 歌詞
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尾崎紀世彦--『また逢う日まで』 

尾崎紀世彦--『また逢う日まで
『また逢う日まで』は、1971年にリリースされた尾崎紀世彦のセカンドシングル。
オリコンでは100万枚に近いセールスを記録し、1971年の年間第3位に輝いた。
作詞:阿久悠 作曲:筒美京平 編曲:筒美京平
尾崎紀世彦のダイナミックな歌い方は、デビュー当時から注目されていた。
第13回日本レコード大賞・大賞と第2回日本歌謡大賞・大賞を受賞。
リリースされて2ヵ月後にオリコンシングルチャートで4位に初登場し、3週後には1位を獲得し、9週間にわたり1位を守り抜いた。
尾崎紀世彦にとっては、この曲が唯一の1位獲得曲となった。
本曲は三洋電機のルームエアコン「健康」のCMソングの候補曲として作られたもので、筒美京平が作った曲にやなせたかしの歌詞を付けたものを槇みちるが歌ったが、スポンサー側の方針変更により最終段階でボツとなった。
その後、この曲に阿久悠が安保闘争で挫折した青年の孤独をテーマにした歌詞を付け、「ひとりの悲しみ」というタイトルで、コーラスグループのズー・ニー・ヴーにより1970年にリリースされたが、ヒットにはならなかった。
後日、3度目のリメイクの話が持ち上がり、この曲を歌うことになった尾崎紀世彦のために、阿久が新たに詞を書き換え「また逢う日まで」としてリリースされた。
なお、阿久にとっては初のレコード大賞受賞曲である。
アレンジ(編曲:筒美京平)が良く、特に動きの速いベースラインが印象的である。
日本で4年に一度開催されている『ワールドカップバレー』が初めて、日本で開催された1977年の『ワールドカップバレー'77』のテーマソングである。本曲はワールドカップバレーテーマソングの元祖である。
尾崎紀世彦は日本テレビ系列『速報!歌の大辞テン』の最終回(2005年3月23日放送)のトリ歌手として本曲を歌唱。歌唱前のトークにて、本曲について「未だに(自分は)歌い切れていない」と述べた。
尾崎紀世彦は晩年において、懐メロ番組での歌唱の際、サビの歌詞の歌い方を原曲に比べ大きく崩す場合があり、一部で物議を醸した。

『また逢う日まで』歌詞
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フランク永井--『君恋し』 

フランク永井--『君恋し
「君恋し」 作詞:時雨音羽 作曲:佐々紅華
1928年(昭和3年)12月、浅草オペラで人気を集めていた歌手・二村定一の歌です。
昭和初期を代表するヒット曲であるとともに、「波浮の港」や「東京行進曲」などと並ぶ、流行歌のレコードの草創期を飾る作品でもある。
古風な歌詞とジャズ音楽の取り合わせが独特の雰囲気を漂わせます。
そして戦後、1961年(昭和36年)に、フランク永井がこの曲をカバーしました。
二村定一のオリジナル盤とは雰囲気が大きく変わり、リズミカルにアレンジされ、フランク永井のレコードも大ヒットとなり、同年の第3回日本レコード大賞グランプリに輝いています。
また2008年に『海雪』でデビューした黒人演歌歌手・ジェロによって「君恋し」がカバーされ、同年6月25日に発売されたアルバムCD『カバーズ』に収録されています。

「君恋し」歌詞


歌手名(50音順)
aiko
赤い鳥
浅香唯
天知茂
あみん
因幡晃
イルカ
H2O
EPO
岡晴夫
小椋佳
尾崎豊
雅夢
狩人
ガロ
冠二郎
岸洋子
class
globe
CoCo
小林旭
ZARD
堺正章
坂本九
THE ALFEE
椎名恵
城卓也
SHOGUN
SHOW-YA
少年隊
SPEED
芹洋子
千昌夫
園まり
平浩二
高樹澪
高山厳
Char
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津村謙
長渕剛
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