昭和歌謡曲ベストヒット大全集 サ

昭和歌謡曲ベストヒット大全集

昭和の歌謡曲、フォークソング、ニューミージック、演歌、J−POPまで青春を過ごした名曲、ヒット曲、懐メロ。 昭和の良き時代を中心に90年代J−POPまで無料でPV動画やMP3が視聴できる『昭和歌謡曲ベストヒット大全集』で青春時代を想い出してみませんか?
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桜田淳子--『天使のくちびる』 

桜田淳子--『天使のくちびる
天使のくちびる』 1975年8月25日リリース 桜田淳子の12枚目のシングル
作詞:阿久悠/作曲:森田公一/編曲:竜崎孝路
デビュー・シングル『天使も夢みる』、『天使の初恋』に続く3作目の「天使・・・」のタイトル作品である。
この曲で「日本歌謡大賞」放送音楽賞を受賞している。
「天使のくちびる」歌詞
ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクションゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
(2009/09/16)
桜田淳子

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ZARD--『IN MY ARMS TONIGHT』 

ZARD--『IN MY ARMS TONIGHT
IN MY ARMS TONIGHT』 1992年9月9日リリース ZARDの5thシングル
作詞:坂井泉水 作曲:春畑道哉 編曲:明石昌夫
TUBEの春畑道哉による提供作。
作曲が織田哲郎でないのは初めてである。
前作『眠れない夜を抱いて』からわずか1ヶ月での発売となり、アルバム『HOLD ME』の1週間後に発売された。
『眠れない夜を抱いて』同様、テレビの音楽番組に出演した(『ミュージックステーション』(テレビ朝日系、1992年10月16日放送分)と『MJ -MUSIC JOURNAL-』(フジテレビ系、同年10月28日放送分))。
なお、この2回の出演の際にはZARDでベースを担当していた星弘泰の姿がなかった(このテレビ出演以前に脱退していたものとみられる)。
また、『MJ -MUSIC JOURNAL-』で同曲を歌唱したボーカルの坂井泉水は歌詞間違いをしてしまっている。
坂井泉水は「イントロを聞いただけでキュンとなる大好きな一曲」と語っている。
『Golden Best ~15th Anniversary~』付属、『Golden History 1991〜2006』より(坂井泉水談)】
『IN MY ARMS TONIGHT』歌詞
坂井泉水フェイバリットソングス「Soffio di vento~Best of IZUMI SAKAI Selection~」(DVD付)坂井泉水フェイバリットソングス「Soffio di vento~Best of IZUMI SAKAI Selection~」(DVD付)
(2007/08/15)
ZARD

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ZARD--『眠れない夜を抱いて』 

ZARD--『眠れない夜を抱いて
眠れない夜を抱いて』 1992年8月5日発売 ZARDの4作目のシングル
作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎 編曲:明石昌夫・池田大介
文字通りのZARDの出世作となり以降45thシングル『素直に言えなくて』まで連続TOP10入りを果たしている。前3作のダークな路線を振り払った明るいバラード。
またZARDの曲の中では英語の歌詞が少なめになっている。
ベストアルバムにはリリースから14年たった2006年、『Golden Best ~15th Anniversary~』に収録された。
この曲から『負けないで』までわずかの期間ではあったが、テレビの音楽番組に合計7回出演することになり、『眠れない夜を抱いて』に至っては『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)では3回披露した他、『SOUND ARENA』(フジテレビ系)でも1回披露しており、4回もテレビ披露された。
このシングルのオフィシャルな発売日は1992年8月5日であるが、裏ジャケットには92.7.22とクレジットされている。
「眠れない夜を抱いて」歌詞
Le Portfolio 1991-2006 [DVD]Le Portfolio 1991-2006 [DVD]
(2006/10/25)
ZARD

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加藤和彦・坂崎幸之助--『イムジン河』 

加藤和彦・坂崎幸之助--『イムジン河
イムジン河』 1968年2月21日発売予定 その後政治的理由により発売中止に
作詞:朴世永・訳詞:松山猛 作曲:高宗漢・加藤和彦
デビュー曲で大ヒットとなった「帰って来たヨッパライ」に続く第二弾として1968年3月に東芝音楽工業(現・EMIミュージック・ジャパン)が発売したのが、このアマチュア時代から歌い継いできた「イムジン河」だった。
東芝の関係者の証言によれば、「帰って来たヨッパライ」でデビューするようフォークルを説得していた頃から、「第二弾はイムジン河で行ける。ヨッパライがこけてもイムジン河がある」と考えていたとテレビ朝日の番組で証言している。
つまり、「ヨッパライ」は「イムジン河」の前座だったということになる。
少なくとも、当初の東芝関係者の間には、そういう計算があったのが事実である。
ところが発売前に数回ラジオにかけた後に、突如レコード会社は「政治的配慮」から発売中止を決定。
結果的に放送自粛的な雰囲気が広がった。
・発売自粛の背景
この曲はもともと北朝鮮では有名な曲で、松山やメンバーらの考えていたような民謡ではなく、高宗漢の作曲、朴世永の作詞によるものであった。
オリジナルの曲では、主人公は臨津江を渡って南に飛んでゆく鳥を見ながら、1番では臨津江の流れに対し、なぜ南の故郷へ帰れないのかを嘆き、2番では臨津江の流れに対し、荒れ果てた「南」の地へ花の咲く「北」の様子を伝えてほしいと思いを託す内容である。
松山の歌詞では、北の幸せさに対し南を哀れむもともとの2番の歌詞は、分断に対する疑問を訴える歌詞に変わっており、まったく違う物となっている。
さらに松山の歌詞には、オリジナルにはない3番がある。

東芝音楽工業に対し朝鮮総連は、これが北朝鮮の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、原詞に忠実に訳すことを求めていた。
後者に関しては、洋楽の日本語訳詞でも原詞と完全な一致はしない物も多かったためあまり問題ではなかったものの、レコード会社は国交のない北朝鮮の名を出すことを躊躇し、大韓民国も北朝鮮の曲が日本国内でヒットすることを望まなかったためレコード会社に圧力をかけ、結果発売自粛となったようである。
また、東芝音楽工業の親会社の東芝が大韓民国内での家電製品のシェア拡大に悪影響を及ぼすことを恐れたため圧力をかけたという説もある。
・2002年3月21日再発売
2002年の再発の際にも、原盤を制作したフジパシフィック音楽出版(制作当時パシフィック音楽出版)社長の朝妻一郎(現会長)が原盤権を譲渡していた東芝EMIに発売を持ちかけたが了承せず、フジパシフィック音楽出版が原盤権を取り戻し、アゲント・コンシピオから発売にこぎ着けたという 。
ちなみに2002年3月21日は加藤和彦の55回目の誕生日だった。
・その後
日本国内における1970年前後の過敏な状態も、1990年代〜2000年代前半頃には表面的には収まっている。
ザ・フォーク・クルセダーズを扱った番組や、ラジオ局の開局記念番組などで「音楽史の一部」としてながらも放送されている。
ただし、2006年現在でも放送の自粛が完全に終わったとは言えない状況である。
たとえば、「イムジン河」が劇中曲として使われた2005年公開の映画『パッチギ!』のプロモーションで各放送局を廻った担当者は、どの局でも「イムジン河」と聞いただけで難色を示されたという。
また、この歌が昼間からラジオあるいはテレビから流れることは滅多にない。
「イムジン河」歌詞
ハレンチハレンチ
(2002/08/21)
ザ・フォーク・クルセダーズ
全曲試聴可
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加藤和彦・北山修--『あの素晴しい愛をもう一度』 

加藤和彦・北山修--『あの素晴しい愛をもう一度
あの素晴しい愛をもう一度』 1971年4月5日リリース
作詞:北山修 作曲:加藤和彦
1994年3月30日にはCDシングルも発売されている。
「あの素晴らしい愛をもう一度」と誤って表記されることが多い。
2002年のザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)新結成のときも「素晴しい」とクレジットされた。
加藤・北山コンビには珍しく詞が先の曲で、1970年7月30日、加藤の光子(ミカ)夫人との結婚祝いとして北山が詞を贈り、その年のクリスマスに加藤が曲を付けて夫人にプレゼントした。
それからは北山、加藤とその仲間内での愛唱歌となっていたが、1971年になり加藤と北山が25才を迎えるということで仲間内から「記念にレコードを出したらどうか」という話が持ち上がり、加藤の了承によりレコード化となった。
後年NHK-BSで坂崎幸之助と久しぶりにギターを抱えて出演したときに「15分でできた」と加藤自身が発言している。
この曲のオリジナル録音(1971年)のきっかけは、東芝音楽工業がフォークルの再結成を図って加藤・北山の両人にはたらきかけたものであるとされる。当時、フォークルの再結成はあり得ないと明言していた2人は、ジャケットでもカメラを全く無視している。これには東芝に対する抗議の意味を込めていると加藤・北山ともに当時のラジオ番組で語った。
第3番の歌詞の「あの時風が流れても変わらないと言った二人の」という一節は、「北山修青春詞歌集『ピエロの唄』」(角川書店)では「あの時星になりたいと夜明けまで泣いた二人の」となっている。
ただし、この歌詞で歌われたことはない。
この曲はソロやデュエットの形で多数のアーティストにカバーされるほか、中学校の音楽教科書に載ったこともあり様々な合唱編曲があり、2000年代になってもなお合唱コンクールなどでは定番曲である。
2003年の『第17回大会(2003年)FNS27時間テレビ みんなのうた』のテーマ曲にも起用され、司会だったみのもんたがエンディングで号泣しながら歌った
「あの素晴しい愛をもう一度」歌詞
フォーク・クルセダーズ・アンド・ゼンフォーク・クルセダーズ・アンド・ゼン
(1998/03/28)
ザ・フォーク・クルセダーズ北山修
全曲試聴可
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ザ・フォーク・クルセダーズ--『悲しくてやりきれない』 

ザ・フォーク・クルセダーズ--『悲しくてやりきれない
悲しくてやりきれない』 1968年3月21日リリース ザ・フォーク・クルセダーズの3枚目のシングル
作詞:サトウハチロー、作曲:加藤和彦
2枚目のシングル曲として発売された「イムジン河」が発売自粛となったため、加藤和彦がそのレコードを逆回転で聴いていたところ、そこから発想を得て曲が作られたといわれているが、実際には当時パシフィック音楽出版 (現フジパシフィック音楽出版) 会長だった石田達郎から「イムジン河」に代わる新曲を急遽作曲するよう強要され、会長室に3時間缶詰にされたときに作ったと証言している。
「悲しくてやりきれない」歌詞
ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽會ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽會
(2003/01/01)
ザ・フォーク・クルセダーズ

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さだまさし--『無縁坂』 

さだまさし--『無縁坂
無縁坂は1975年11月にグレープがリリースした最後のシングルです。
翌年の春には、グレープは解散となりました。
作詞:さだまさし/作曲:さだまさし/編曲:さだまさし
無縁坂は日本テレビのドラマ『ひまわりの詩』主題歌でした。
歌の舞台は東京都文京区湯島四丁目にある坂、無縁坂
森鴎外の小説『雁』で知られるようになった坂です。
またシングルのB面曲『雲にらくがき』は同番組の挿入歌でもありました。
雲にらくがき--作詞:さだまさし/作曲:さだまさし/編曲:グレープ
「無縁坂」歌詞
さだまさし ベストデビュー30周年記念リマスター盤さだまさし ベストデビュー30周年記念リマスター盤
(2003/01/22)
さだまさし

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沢田研二--『巴里にひとり』 

沢田研二--『巴里にひとり
巴里にひとり』 1975年5月21日発売 沢田研二の13枚目のシングル
作詞:G.Sinoue/訳詞:山上路夫/作曲:G.Costa/編曲:R.Gimenes、A.Greenslade
また、この曲は「MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE」(モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドゥ・ブ・ドゥ・モンド)というタイトルでフランス国内においてフランス語での歌唱バージョンがリリースされている。
MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE」 1975年1月20日発売
作詞:G.Sinoue/作曲:G.Costa/編曲:R.Gimenes、A.Greenslade
曲タイトルは「恋人よ、私は世界の果てからやってきた」という意味。
日本語版は恋人を祖国に残してきた内容になっており、正反対の歌詞となっている。
当時海外進出を狙っていた沢田研二であるが、この楽曲はフランス国内のRTLというラジオチャートで最高位4位を獲得、およそ20万枚を売り上げるなど異例とも言えるヒットを飛ばし、後にヨーロッパ他各国における複数枚のシングル、アルバム『KENJI SAWADA』のリリースへと繋がっていく事となる。
当時レコーディングにおいて、沢田本人はフランス語を話せないため、発音に関してかなり苦労したというエピソードが語られている。
また、フランスでのヒットに伴って、スイス、カナダ、オーストリア、ギリシャ、ノルウェー、ベルギー、オランダなどヨーロッパ他各国でリリースされている。
日本版ではG.Sinoueの歌詞を山上路夫が訳詞した。作曲はジョルジュ・コスタである。
日本においては2種類のバージョンが発売されており、B面曲が異なる。
日本版 1
巴里にひとり(2分33秒)
作詞:G.Sinoue/訳詞:山上路夫/作曲:G.Costa/編曲:R.Gimenes、A.Greenslade
明日では遅すぎる(4分15秒)
作詞:安井かずみ/作曲:加瀬邦彦/編曲:東海林修
日本版 2
巴里にひとり(2分33秒)
作詞:G.Sinoue/訳詞:山上路夫/作曲:G.Costa/編曲:R.Gimenes、A.Greenslade
MON AMOUR JE VIENS DU BOUT MONDE
フランスでリリースされたバージョン。
「巴里にひとり」歌詞
沢田研二 A面コレクション沢田研二 A面コレクション
(2009/03/04)
沢田研二

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坂本九--『上を向いて歩こう』 

坂本九--『上を向いて歩こう
上を向いて歩こう』 1961年10月15日リリース
作詞:永六輔 作曲:中村八大
元々は中村八大が自身のリサイタルのために制作した楽曲であったが、曲直瀬信子の推薦により、坂本九のシングル曲としてレコーディングされることになった。
1961年4月からNHKで放送されていたテレビ番組「夢であいましょう」の10月、11月の「今月のうた」として発表され、同年10月にレコードが発売されると爆発的なヒットとなった。
当時の日本のレコード売り上げランキング(「ミュージック・ライフ」誌に掲載されていた国内盤ランキングでは1961年11月 - 1962年1月まで3ヵ月にわたり1位を独走した。
売り上げだけを見れば相当なものであったが、坂本九の独特な歌い回しが耳に合わない当時の保守的な日本の歌謡界においては評価は高くなかった。
レコード大賞にも選ばれていない。
だが、この評価は世界での大成功により覆された。
1962年、ヨーロッパでこの曲が紹介され、大ヒットした。
フランスなどでは原題と同じ意味のタイトルで発売されたが、イギリスでは「SUKIYAKI」、ベルギーやオランダでは「忘れ得ぬ芸者ベイビー」と改題された。
アメリカでは、イギリスでヒットしたケニー・ボール楽団のレコードが発売されたが、チャートの100位以内には入らなかった。
しかしワシントン州パスコのラジオDJリッチ・オズボーンが偶然坂本九のレコードを入手し(彼の番組のリスナーの高校生が日本にいるペンフレンドに貰ったものを送ってきたという)、ラジオ番組で「SUKIYAKI」として紹介すると、局に問い合わせが殺到し、1963年、「SUKIYAKA」(発売当初は「SUKIYAKI」が誤植されこのタイトルとなった。
(後に訂正)「SUKIYAKI」の題でキャピトル・レコードから発売され、ビルボード誌で6月15日付から6月29日付まで3週連続、キャッシュボックス誌で6月15日付から7月6日付まで4週連続1位のヒットとなった。
ビルボード誌において、英語以外の歌では1958年のドメニコ・モドゥーニョ「ボラーレ」(イタリア語)以来2曲目の1位であり、同年のシングルレコード年間チャート4位にもランクされている。
また「全米1位」の影響を受け、日本でも1963年7月に『上を向いて歩こう「スキヤキ」』のタイトルで再プレスされヒットした。
「上を向いて歩こう」歌詞
ベスト30ベスト30
(2003/08/20)
坂本九
全曲試聴可
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