加藤和彦・坂崎幸之助--『イムジン河』『
イムジン河』 1968年2月21日発売予定 その後政治的理由により発売中止に
作詞:朴世永・訳詞:松山猛 作曲:高宗漢・
加藤和彦デビュー曲で大ヒットとなった「帰って来たヨッパライ」に続く第二弾として1968年3月に東芝音楽工業(現・EMIミュージック・ジャパン)が発売したのが、このアマチュア時代から歌い継いできた「
イムジン河」だった。
東芝の関係者の証言によれば、「帰って来たヨッパライ」でデビューするようフォークルを説得していた頃から、「第二弾は
イムジン河で行ける。ヨッパライがこけても
イムジン河がある」と考えていたとテレビ朝日の番組で証言している。
つまり、「ヨッパライ」は「
イムジン河」の前座だったということになる。
少なくとも、当初の東芝関係者の間には、そういう計算があったのが事実である。
ところが発売前に数回ラジオにかけた後に、突如レコード会社は「政治的配慮」から発売中止を決定。
結果的に放送自粛的な雰囲気が広がった。
・発売自粛の背景この曲はもともと北朝鮮では有名な曲で、松山やメンバーらの考えていたような民謡ではなく、高宗漢の作曲、朴世永の作詞によるものであった。
オリジナルの曲では、主人公は臨津江を渡って南に飛んでゆく鳥を見ながら、1番では臨津江の流れに対し、なぜ南の故郷へ帰れないのかを嘆き、2番では臨津江の流れに対し、荒れ果てた「南」の地へ花の咲く「北」の様子を伝えてほしいと思いを託す内容である。
松山の歌詞では、北の幸せさに対し南を哀れむもともとの2番の歌詞は、分断に対する疑問を訴える歌詞に変わっており、まったく違う物となっている。
さらに松山の歌詞には、オリジナルにはない3番がある。
東芝音楽工業に対し朝鮮総連は、これが北朝鮮の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、原詞に忠実に訳すことを求めていた。
後者に関しては、洋楽の日本語訳詞でも原詞と完全な一致はしない物も多かったためあまり問題ではなかったものの、レコード会社は国交のない北朝鮮の名を出すことを躊躇し、大韓民国も北朝鮮の曲が日本国内でヒットすることを望まなかったためレコード会社に圧力をかけ、結果発売自粛となったようである。
また、東芝音楽工業の親会社の東芝が大韓民国内での家電製品のシェア拡大に悪影響を及ぼすことを恐れたため圧力をかけたという説もある。
・2002年3月21日再発売2002年の再発の際にも、原盤を制作したフジパシフィック音楽出版(制作当時パシフィック音楽出版)社長の朝妻一郎(現会長)が原盤権を譲渡していた東芝EMIに発売を持ちかけたが了承せず、フジパシフィック音楽出版が原盤権を取り戻し、アゲント・コンシピオから発売にこぎ着けたという 。
ちなみに2002年3月21日は
加藤和彦の55回目の誕生日だった。
・その後日本国内における1970年前後の過敏な状態も、1990年代〜2000年代前半頃には表面的には収まっている。
ザ・フォーク・クルセダーズを扱った番組や、ラジオ局の開局記念番組などで「音楽史の一部」としてながらも放送されている。
ただし、2006年現在でも放送の自粛が完全に終わったとは言えない状況である。
たとえば、「
イムジン河」が劇中曲として使われた2005年公開の映画『パッチギ!』のプロモーションで各放送局を廻った担当者は、どの局でも「
イムジン河」と聞いただけで難色を示されたという。
また、この歌が昼間からラジオあるいはテレビから流れることは滅多にない。
「イムジン河」歌詞