佐川満男--『今は幸せかい』『
今は幸せかい』 1968年10月10日発売 作詞/作曲:中村泰士/ 編曲:小林亜星
佐川満男は1960年に「二人の並木径」でビクターレコードから歌手デビュー。
デビュー当初は、「佐川ミツオ」という名義を使用していた。
「二人の並木径」を作曲したのはニール・セダカで、1960年に来日公演を開いた際には、「ザ・スイング・ウエスト」がバックバンドを務めていた。
デビュー後は、リバイバルブームを追い風に、「無情の夢」「ゴンドラの唄」「背広姿の渡り鳥」などのヒット曲を連発。
NHK紅白歌合戦には、デビュー2年目の1961年から2年連続で出場した。
しかし、ネフローゼ症候群や結核でおよそ3ヶ月間の入院生活を余儀なくされたことや、有頂天になった反動で悪評が立ったことから人気が急降下。その最中に、自身のステージで前座を務めていた中村泰士が、佐川満男の自宅でギターを弾きながら10分足らずで
「今は幸せかい」という曲を作ってしまう。
佐川満男は「今は幸せかい」を音楽出版社に自ら持ち込んだものの、行く先々で門前払いに遭ったため、自費で500枚のレコードを製作。中村泰士と2人で大阪の盛り場を回ったところ、有線放送のリクエスト件数で1位を記録したあげく、日本国内の全レコード会社からリリースを正式に打診された。結局、1968年に本名の「佐川満男」名義で、「リリースの条件が特に良かった」という日本コロムビアから「今は幸せかい」をリリース。およそ60万枚の大ヒットに至ったばかりか、翌1969年には、この曲をひっさげて『NHK紅白歌合戦』へ7年振りに返り咲いた。
1970年に『NHK紅白歌合戦』へ通算4回目(自身2度目の2年連続)出場を果たすと、1971年に同業者(歌手)の伊東ゆかりと結婚。「伊東ゆかりの歌が元々好きだった」とのことで、結婚後に一人娘(歌手の宙美)を授かったが、1975年の5月に離婚している。
今は幸せかい:歌詞心にのこる名曲 歌謡ヒット青春歌年鑑 1968年 HIT BEST30