新谷のり子--『フランシーヌの場合』「フランシーヌの場合」は、1969年6月15日に発売された新谷のり子のデビューシングル。
作詞:いまいずみあきら、作曲:郷伍郎、編曲:テディ池谷
本名は(本名: 新谷則子)「あらやのりこ」と読むが、淡谷のり子と読みが一字違いで畏れ多いと、デビュー時にレコード会社の指示で「しんたに」と読むことになった。後年、淡谷のり子は気骨ある反戦歌歌手の大先輩として尊敬する対象になる。
1969年3月30日の日曜日、パリの路上でフランシーヌ・ルコント(当時30歳の女性)が、ビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺した。3月31日に朝日新聞夕刊が小さなスペースでこの外電(AFP)を載せた。CF(コマーシャル・フイルム)の制作に携わり、CMソングの作曲家でもあった郷伍郎は、この記事に触発されて『フランシーヌの場合』を作詞作曲した。郷はシャンソン歌手・古賀力と新谷のり子、青山音楽事務所(代表者・青山ヨシオ)の協力を得てデモ・テープを製作した。その後、郷伍郎と日本コロムビアの飯塚恒雄との出会いがあり、飯塚はこのテープを聴いてから二か月後に日本コロムビア・デノンレーベルから、この曲を市場に出した。レコーディングも古賀力、新谷のり子をそのまま起用して、ドラム・レスの構成を生かすなど、可能な限りデモ・テープのイメージを生かしている。当時は寺山修司の「天井桟敷」から生まれたカルメン・マキの『時には母のない子のように』が先行してヒットするなど和製フォーク・ソングの全盛時代だった。『フランシーヌの場合』も大ヒットして日本のプロテスト・フォークの代表作となった。
「フランシーヌの場合」歌詞