高峰三枝子--『湖畔の宿』「湖畔の宿」(こはんのやど)は1940年(昭和15年)に
高峰三枝子が唄いヒットした歌謡曲。
作詞は佐藤惣之助、作曲は服部良一。
歌詞は「山のさびしい湖に一人来たのも悲しい心(中略)書いてまた消す湖畔の便り(歌詞の一部を抜粋)」などと唄い、曲中で
高峰三枝子のモノローグが挿入される。
曲は1940年の2月22日には完成していたが、戦時色がないとの理由でレコード会社が難色を示し、発売は晩春頃となった。当初、レコード会社はほとんど宣伝せず、放送でも流れなかったが、次第にオフィス務めの若い女性の間で歌われるようになる。その後、前線の兵士からのリクエストに応じる形でラジオ番組では高峰にこの曲を歌わせるようになり、最終的には内地でも大ヒットしたという。
曲はヒットしたが、感傷的な曲調と詞の内容が日中戦争戦時下の時勢に適さないとして、まもなく発売禁止となった。しかし前線の兵士には人気があり、慰問でも多くのリクエストがあったという。但し、作曲者が「発禁処分は実際にはなかった」と証言したとの話もある。
発売当時のレコード売上については、30万枚近いレコードが製造されたとも、作曲者による「60万枚売れた」という証言もある。
1961年には森サカエがカバーし、こちらもヒットした。
1975年放送の桃屋「ごはんですよ!」のテレビCM「懐メロ篇」において三木のり平が「湖畔の宿」を歌った。
湖畔の宿:歌詞