松崎しげる--『愛の微笑』【愛のメモリーの原曲】超貴重映像 1976年スペイン マジョルカ音楽祭出場曲1976年、ビクターレコードのディレクターがスペインのマジョルカで開催される「マジョルカ音楽祭」を知り、音楽祭参加のために楽曲を制作することを決意する。同音楽祭は、当時注目をされていたヨーロピアン・ポップス界の登竜門的存在であり、審査員はフランシス・レイ、ポール・モーリア、ミシェル・ルグランなどが名を連ねていた。
ディレクターの意向により、それまでにないスケールの大きな楽曲が製作されることとなり、歌手として
松崎しげるに白羽の矢が立った。フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」を念頭においた、ラブ・バラードが最適とディレクターは判断し、作詞をたかたかし、作曲を馬飼野康二に依頼する。たかは『万葉集』から、藤原鎌足が采女安見児を得たときに詠んだ歌「われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり」を基に、馬飼野はヘンリー・マンシーニの「ひまわり」を念頭に置き楽曲を完成、「愛の微笑み」と名づけられた。
音楽祭では、より曲を印象付けるため、サビをスペイン語にするなどの手直しが施された。本番では
松崎しげるの圧倒的な歌唱力とステージ・パフォーマンスにより、松崎自身に最優秀歌唱賞を、総合では第2位を記録する。しかし、日本での対応は冷ややかで、各種メディアを始め音楽関係者も松崎の受賞に関心を持たず、楽曲そのものに関しても注目が集まることはほとんどなかった。そのため、松崎自身がテープを持参して曲の売込みを行うこととなるが、売り込み自体も難航した。
やがて、松崎はかつて仕事をした関西のCMプロデューサーを訪ね、その際に、サビの部分に興味を抱いたプロデューサーの意向により、江崎グリコのアーモンド・チョコレートのコマーシャルソングとして採用されることが決まった。
1977年、三浦友和と山口百恵の共演するコマーシャルに流れたことで「愛の微笑み」は注目を集め、同年8月に、歌詞を一部改変して「愛のメモリー」としてリリースすると瞬く間にヒットを記録。同年暮れの『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場も果たした。
愛の微笑み:歌詞